なぜボンタ軍に入ったのか。そう聞かれた。
俺は弓矢を修復していた手を止めて顔を上げた。
この部隊を統率している男と目が合った。策士特有の覆面が真っ直ぐ見てくる。
「どうしてそんなことを?」
傭兵ごときに、そんな。俺に大それた理由があるとでも思ったのだろうか。
明確な理念や意志をもってして志願したわけでもない。
素行の軌道修正を願う親に無理矢理ボンタ軍に入れられただけだ。
「いや…。お前ならこんな泥臭い場所似合わないだろうと思ってさ」
「そりゃお褒めの言葉をどうも」
顔がいいから女に世話してもらえるってか。してもらってたさ。
寄生して切り捨てて、そうしてずっと過ごして来たら素行不良を親に怒られた。
怒られてどうこうするような歳でもないけどさ。
言ったところで堪えないだろうってこんな手段を取られるとは思ってなかった。
手際の早さはすごかった。さすが母さんというべきか。
「特に理由なんかないよ」
状況的に仕方なく。以上。それだけ。
「あぁ、言っておくけど。任務はきちんと完遂するさ」
意志薄弱な兵士は戦地において敵前逃亡をすることがままある。奴はそれを心配しているのか。
そう言う。奴の顔は変わらなかった。なんだ、違うのか。
「それじゃ、作戦を開始するか。…頼んだぞ」
「仰せのままに」
支給された魂の石を握る。ブラクマールの地下道で捕ってきたダーク坑夫の魂が封じられている。
これを何日かにわたってブラクマール街内で解放してくるのが俺の役目。
その目的も予想される結末も教えてはもらえなかった。俺はどうせ末端だからいいけどさ。


本来、モンスターの魂の石は闘技場でしか解き放ってはいけない。
その不文律を破って石を叩き割る。ぱりん、と割れる淡青の石。
再び肉体を得た魂が獲物を求めてさ迷いはじめる。それを背にして俺は次の場所へ。
割って、モンスターが動き始める前に俺はそこを離脱して、次の場所でまた割る。
それを繰り返す。今日の分の魂の石はあとひとつ。
適当な場所を見つけてそこで解放することにした。叩き割る。
解放した。ダーク鍛冶師と目が合った。あ、襲われるかも。まずいな。
倒してもいいのやら。戸惑う俺と殺意をたぎらせるダーク鍛冶師の間に風が割り込んだ。
濃紫の布は夜の風のよう。一瞬で鍛冶師を屠るダガー。
「…大丈夫?」
夜闇の風を模したような女スーラムは目だけで振り返って俺を見た。
それはいいとして、彼女に倒させてよかったのだろうか。まぁ、いいか。
「あぁ、君のおかげで無傷だよ」
「…そう。……最近、モンスターが異常発生しているみたいだから、気を付けて」
街にまで侵入してくるの。そう呟く彼女はモンスター狩りに辟易しているようだった。
それ、一部は俺のせいなんだけどね。黙っておくけどさ。
「覚えておくよ。…じゃぁ、俺はこれで」


無事、ブラクマール兵に見つかることなく役目を終えた俺は合流地点へ向かうことにした。
シドモート泥地のダーク道。邪悪の森のはずれに続く地下通路の先。まぁ、つまり邪悪の森の近く。俺の実家とは距離がある。
「ドラゴターキーくらい支給してくれたっていいのにな」
ブラクマールから目的地まで、どれだけあると思っているのか。
徒歩じゃ時間がかかりすぎる。さりとてどうにもできず足を動かすしかない。
嘆息しつつもどうにかダーク道の地下通路へたどり着く。
坑夫にチップを払ってトロッコに乗る。台車を操作する坑夫はやけに機嫌がよかった。
「コバルトの鉱脈でも掘り当てたかい?」
「いや、そうじゃないさ。でもそれくらいラッキーな収穫があったんだ」
すぐにわかる、お前もおこぼれにあずかれるさ。そう坑夫は言うが意図が掴めない。
ふぅん、としか言えない俺の返事は興味なさそうに聞こえたかもしれない。
「着いたぞ。…隊長殿は今頃お楽しみじゃないかなぁ」


トロッコを降りる際の、坑夫の下卑た笑みの意味を理解した。
最低限の明かりしかない暗い部屋でうごめく影。ぎちぎちと鳴る革の拘束。絡み合う男女の交わり。
「よぅ。お前も混ざるか?」
「…生憎、そういう趣味はないよ」
拘束した女性を凌辱する趣味なんて。ついでに言うなら女性に関してはすぐ釣れるので間に合っている。
冷淡に言い放つ。奴は俺の辛辣さに肩を竦めただけで、すぐに目の前の肢体に欲望を穿つ。
「次の命令は?」
「上からの指示待ちさ。…っへ、嫌がってても身体は正直だなぁ!」
奴の下劣さに辟易する。同じ空間にいるのも嫌になって部屋を出る。
踵を返す直前、見えたもの。部屋の端に捨てられた布は宵闇と同じ濃紫。


そして数日が経つ。
上からの指示とやらは音沙汰がなく。暇だ。
皆、あの部屋で持て余した時間と肉欲を発散している。俺は混ざらない。興味もない。
「不能か?」
誰がだよ。使い物になるよ。
行為はベッドの上で、女の子が哀願した末に与えるに限る。と思う。
「顔がいいと余裕があっていいなぁ」
揶揄する奴の吐息は酒臭い。昼から飲むなよ。
「しかしほんと、身持ち堅いな。故郷に女でもいるとか?」
「まさか。……故郷だけだと思うのかい?」
アマクナ村とスフォキア、アストゥルーブとパンダーラにひとりずつ。寄生先には困らない。
ボンタのはずれにもいたはずだ。すでに旨味がなくて疎遠になりつつあるけど。
「っは、とんでもない野郎だなぁ!」
「お褒めの言葉をどうも」
下らない。嘆息する。そのまま会話を切り上げる。
しばらくして、奴らは酒を飲んで酔い潰れた。呑気に寝入る奴らを無視して例の部屋に入る。
「やぁ、お嬢さん。元気かい?」
ぴくり、と動く。ゆるゆると顔をあげる。
暗闇に溶けそうな褐色の肌に生気は少ない。肉体に浮かぶ凌辱の痕跡は生々しい。
生きることを諦めかけている瞳がこちらを見た。
「酷いな」
女を凌辱するだなんて。酷い話だ。最低だ。
わかっていない。そんなことより、もっといい遊び方があるだろうに。
「さて問題。これは何でしょう?」
彼女の持っていたものは部屋の端に打ち捨てられている。不用心なことに武器すら抜き身で放置されている。
そのダガーを拾って彼女の目の前にぶら下げる。
途端に瞳に宿る生気。生への渇望。そう。それが見たかった。
「最後まで足掻いてくれよ」
俺はそれを追い詰めるからさ。
笑って、皮革の拘束を断ち切った。


そして疲労困憊で走り逃げる彼女を追う。
脱走に気付いて飛び起きて、滑稽なほど躍起になって追っている奴らの最後尾について俺も走る。
最後尾の俺を奴らは一顧だにしない。だから俺が浮かべている表情も知らない。
こんなに楽しそうな顔をしているのに気付かない。
「おい、足止めしろ!」
「仰せのままに」
放った辛辣の矢はぎりぎりを掠めてオリヴィオレットに突き刺さる。
しっかり狙えと怒号される。馬鹿だな、わざと外したのに。
簡単に詰ませてしまったらつまらない。追跡はあくまでも緩く、緩く。つかず離れずで徐々に。
そう言っている間に奴らは彼女に追いついてしまった。その場で始まる凌辱を俺は遠目に見ていた。
だた広いところで周囲も見ずに致そうなんてよく考えるな。モンスターだっているっていうのにさ。
冷淡に眺めていると、穴が足りない、と呟く声が聞こえた。
ひとりに対し4人はきついだろうなぁ。何処をどう使うかは言わないけど。
「穴が足りないなら」
彼女が倒れた瞬間に泥に転がったダガーを拾う。
刃についた泥を拭って落とす。切れ味は悪くなさそうだ。
「こうすればいいんじゃないかな?」
それで彼女の脇腹を刺し貫く。ほら、穴が出来た。
流れ出る赤い液体が潤滑油代わりだ。急所は避けたからしばらく楽しめるんじゃないかな。
「妙案だな!」
嬉々とした男が突っ込みにかかる。腹筋が締まって具合がいいとか感想を呟いていた。
「お前はいつも通りか?」
「あぁ。死にかけに興味もないんで」
俺は弱りつつある彼女が最期まで足掻いて力尽きる瞬間を楽しみに眺めるからさ。
そう言って断る。目の前の光景に劣情の欠片も抱かない。
遠巻きに眺めて、立ちっぱなしの足がいい加減疲れて来た頃、凌辱の輪が壊れた。
奴らが晒した隙をついて、ダガーをひらめかせ目の前の策士を刺して彼女が駆けた。
慌ててズボンをはく奴らが滑稽だ。イオップなんかは焦るあまり裾に足を絡めて転倒している。
急所を一突きされた策士は絶命。馬鹿な隊長だよ。死体を踏みつけて追跡を始めた。
「ほら、ブリューメン・ティンクトリアスのラボだぞ」
気力だけで動く彼女を笑いながら見ている俺はきっと酷い顔をしている。
あともう少し。あと少しでブラクマールだぞと笑う。
逃げろよ。せっかくここまで来たんだ。ほら。もうちょっと頑張るだけじゃないか。
背中をつつくように矢を放って追い立てる。追跡はあくまでも緩く。
そうして楽しんでいたけど、どうやら彼女はここで限界を迎えたらしい。くずおれた彼女が立ち上がる気配はない。
「死んだか?」
「まさか」
小さく唱えられるヒーリングのおまじない。泥に沈んだ彼女の指先がぴくりと動いた。
色んな液体がこびりついた口が紡いだうわごとは誰かの名前。
「家族か? てめぇがここで死んだら、お前の仇討ちに来るかもなぁ」
彼女の顔色が変わった。
その人物にこの凌辱を味あわせてはならないと顔に書いてある。
私はまだ使えるから。だから放って行かないで。いずれ来るあの子に手を出さないで。
哀願する彼女の声音は必死だった。俺に縋り付く指先を振り払う。
だから、野外で致す趣味はないんだって。奴らと違って。
ちょうどブリューメン・ティンクトリアスのラボも近い。ベッドくらい借りられるだろう。
野蛮な白オオカミがこちらを遠巻きに見ているのを指してラボへと担ぎ込む。
タッサにカマを握らせてベッドを借りる。
致すならベッドの上だって言ってたもんなぁ、と揶揄するパンダワが煩い。
「まだ使えるって言い張ってたけど、その身体で?」
エニリプサのおかげで脇腹の傷は出血が止まっている。それでも瀕死に違いない。
それで使えるって言うなら、証明しろよ。


うん、悪くなかったんじゃないかな。
中に出してと哀願されたのでそうしたけど、元々劣情をそそらないのもあって1回で飽きてしまった。
あとは奴らが好き勝手にしている。俺は酒場のほうで飲むことにした。
「あら、不審者。なによ。まだ居座る気?」
「カマ払ったんだからいいだろ」
辛辣なタッサに冷淡に返す。口止め料は十分払ったはずだ。
あと俺は出ても構わない。あいつらが出たがらないだけだ。
お楽しみはまだまだ続くようで、一方で俺の楽しみは終わってしまった。
彼女はもう瀕死で、ヒーリングのおまじないでどうにか命を繋いでいる。あれが途切れたら死ぬだろう。
だから俺が彼女にすることは何もない。追い詰めて遊ぶこともしない。する価値もない。
薄い酒は俺を酔わすには足りない。酒を煽っていると、満足したらしい奴らが部屋から出てきた。
「そろそろ撤退するぞ」
「あぁ。了解。…あの女はどうする?」
「放っとけよ。……このままネルウィンのエサにでもなるさ」
不意に瞬く爆裂。室内に飛び込んできた女サクリエール。その背に負う赤い翼。
一瞬で屠られるイオップ。炎を宿すダガーで切り裂かれるエニリプサ。
パンダワが応戦する。俺は肘で窓ガラスを叩き割って逃げ出す。もうお役御免だろ。
追手はなかった。パンダワの断末魔を背中で聞きながら、ダーク道のザアップに硬貨を放り込んだ。


あとは皆の知る通り。
驚いたのはその彼女が仲間として俺の目の前に現れたこと。
白い記憶は何も覚えていないようで、俺の顔を見ても無反応だった。
感情の薄い瞳は沈黙をたたえている。
いつ気付くだろうか。いつ思い出すだろうか。
復讐されてもおかしくはない。いつか露見する。絶対に。確実に。
その日を恐れながら日常を過ごす。あの濃淡が褪せた紫が向けてくる視線に怯える。
「……覚えてるよ」
そうあの口が紡ぐことを恐怖する。それによってもたらされる狂乱が恐ろしい。
シャオリーに見捨てられるのが恐ろしい。酷い、最低。そう言って振り向いてもらえないのが怖い。
切断するために結んだっていうのに、切断されるのを恐れるのも滑稽な話だけどさ。
「最近、落ち着かないわね」
事後、ベッドの上でそう言われた。
やっぱり女の子はベッドの上で哀願させて与えるのが以下略。
「そうかい?」
まいったな。鋭い。自白すれば少しは罪が軽減されるだろうか。
「ヴィスと何かあるの? 前の女のひとり?」
「いや…そうじゃないよ」
まず先にそこを疑うのはどうだろう。と思うけど今までの俺の経歴からして仕方ないことだと思う。
うん、ほんとに。ちなみに結婚してから女連中に連絡は取ってない。
おかげでそれぞれの女連中の家の付近を通るときは冷や冷やする。
シャオリーにしかわからないレベルらしいけど、目に見えて警戒しだすのが面白いらしくて連れ出されそうになるのはまぁ別の話。
「なにがあっても、私はあんたを切り捨てたりはしないから」
そう言われても、それを信じて自白する気にはなれない。だって、君が予想するより酷い話なんだから。
想定以上の事実に落胆するのは目に見えてる。
だから言わない。言えない。このまとわりつく恐怖感はあの日の代償なのだ。


ある日の昼下がり。ひとりきりで作業をしていると背後に気配が降り立った。
「やぁ、お嬢さん。元気かい?」
あの日と同じ語調で、インビジで隠れる彼女に声をかけた。
覚えてるなら反応を示すはずだ。背後の気配は無反応。
まだ思い出してないことに安堵する。まだ安寧は守られている。白い記憶に埋もれたまま。
「で、何か御用?」
男性恐怖症だとシャアラが言っていた。うん、俺のせいだな。正確には奴らのせい。俺は最後まで手を出してない。
それなのに俺に接触を持ちかけてくるなんて。
心当たりといったら昔日の復讐だけど、どうやら覚えてないみたいだしそれもないだろう。
そうなると思い当たることがない。考えていると目の前に提示されたオストウォゴスダガー。
「…刃、欠けたから」
ルーンで補強しておいて。そう言って彼女はダガーを置く。俺から一定の距離を保って。
あぁはい。ダガー魔術目当てね。諒解した俺はダガーを受け取る。
完成品はシャアラにでも渡しておいてほしい、という彼女の申し出に俺は了承を示した。
そういえば、あの日持っていたダガーはこれじゃなかった。あれはどうしたんだろう。
聞くのが怖くて黙っておくことにした。たぶん処分したんだろう。あれには悪い思い出がこびりついているだろうから。
「……あぁ、そうそう」
足早に立ち去る寸前、彼女は目だけで振り返る。
「……ほんとは覚えてるから」


真実ってやつ。


俺の心に氷塊が滑り降りた。


吹き込んだそれは、冬の宵風のように冷たい。